放送大学 日本の古代中世15回

2019年1月19日 土曜日

か放送大学 近藤成一  日本の古代中世15回

京都の時代における移り変わりが少し知れて興味深い内容だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朱雀大路で右京と左京に。

大内裏 かつては建物があったが平安末期から火災などでも再建されず、

1200年代大火災から内野という荒地に。天皇の居所は里内裏(さとだいり)が代わりに使われる。北東に集中。幕末までの御所も里内裏の1つ土御門東洞院殿(右京の北東の角)。室町幕府の室町殿はそのすぐ北。

白河 嵯峨 鳥羽 などの離宮も発展。

嵯峨には渡月橋、があり近くの丸い山は亀山。2人の天皇のお墓もある。その奥は小倉山。天龍寺、臨川寺 今の嵐山の駅近く。

六波羅 平清盛一族 2000くらいの邸宅があり、とても繁栄した。

没落後没収され、頼朝に与えられる。

鴨川の東側にある。五条と六条の間。

室町殿は平安京の北 すぐそばに相国寺

室町殿付近がもっとも当時栄えた。今は同志社大が近くに。

戦国期は3万人程度の町、構に囲まれた城塞都市といった感じ。

 

織豊時代  御土居(おどい)にかこまれた町として旧二条城 は将軍義昭のために信長が作ったが関係悪化後は安土城へ信長が移築してしまった。今の二条城よりも東に少し離れた場所。

本能寺も聚楽第も御土居の中。御土居と堀で囲われている

秀吉が御土居をつくり、その中の一箇所に家来を住まわせた。

その後、江戸時代に多くが破却される。まだ、大徳寺の近くに残っている。土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,要所には七口を設け,洛外との出入口としました。鞍馬口,丹波口などの地名はその名残とのこと。

 

 

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加藤たかよし

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